いつかの夢十夜 《三》

《第三夜》

あるとき、こういう夢を見ました。

 

変化していく物事や物質、現象などを

1「粉」、2「配」、3「愛」のどれかに

当てはめて紙に書くという夢。

 

食べ物や液体から始まって

そのうちに《愛》について考えました。

 

 

1《愛》は「粉」である(と仮定する)。

愛は粒子の結晶であり、ぶつかって砕け散ることもある。

その一粒一粒が自然と完全に消えることは無いが、乾くと手からこぼれ落ちてしまう。

また、愛は日常にスパイスを与え、からくもあり、あまいこともある。

 

 

2《愛》は「配」である(と仮定する)

愛は求めるものではなく、配るために存在するものである。

しかし愛には、支配と心配とが配合されている。

そのため配慮ある采配、よ“くばり”よりも、き“くばり”が大切となる。

 

 

3《愛》は「愛」である(と仮定する)

愛は憎しみや嫉妬を生むかもしれないが、その根源は愛である。

愛を取り巻く不純物を取り除いていくと、本質の愛だけが残る。

 

しかし愛全体が不純物で塗り固められると、干からびてしまい、ひびが入る。

そのとき愛は、すでに別の何かに変化している。

 

・・・別の何か?犠牲や依存、我慢や嘘、欲望や金銭。

そもそも愛に、純粋も不純も無いのではないか。 

 

たとえそれが、条件や環境を超越して

心の底から生まれた愛であったとしても。

 

 

人は、愛とは言わないものを愛と言い

愛と知っていても知らないふりをする。

 

愛に忠実に生きようとしても

人には生活があり家族があり社会がある。

 

いつの間にか生まれる愛という流動物の実体をつかむには

人はいつ、何をすればいいのだろうか。 

 

 

そこまで考えを巡らせた時、いつからか自分が

完全に目覚めていることに気付きました。

 

そういう夢を見ました。

小山和哉